Human Consultant SESSIOは、問題解決のための個人セッション、自己観察を用いたメンタルトレーニングに関する学習モデルをご提供する会社です。
あなたが本当に望むものを喜びや幸福の実感を伴って引き寄せるテクニック&トレーニング方法「IRM」をご提供しています。
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みんなの自己観察 I.R.M.〈幸福覚醒プログラム〉受講者が自己観察をすることによって得た貴重な気づきや現実が変わってゆく素晴らしい体験・プロセスをご紹介していきます


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この体験の為だったことを受け入れられた (前編)

 

小さなきっかけで込み上げてくる感情。
胸が苦しくなって涙が止まらない。不思議な体験。
これは何だろう?と問いかけると「寂しさ」

以前もあったけど、自己観察を始めてからは度々でてくる。

きっかけは違うことだけど、その時でてくるのは小さい頃に自分は凄く寂しかったということ。
ずーっと忘れていたみたいだけど、本心に問いかけだしてから出てくるようになったのだろう。

4人も子どもがいて、実践倫理の活動をしていて、その上母は要領がすごく悪くて。
そんな状況だったから母は凄く忙しくて、長女だったからか小さい頃は母に遠慮していた。
私は母と遊びたかった・かまって欲しかった・話を聞いて欲しかった、だけど全く満たされなかった。
たまに訴えても受け止めてもらえなくて、寂しかった。
忙しいのはわかってるから、実際私に時間が使えなくてもいいから、
ただ気持ちを受け止めてくれればよかったんだけど、そうはならなかった。

対人関係のことで自己観察していくと、
「認めて欲しい」が、いつも奥に隠れている。「否定されたくない」「嫌われたくない」。
さらに「相手の気持ちを優先させなければいけない」価値観が出てくる。
自分がどうしたいかではなくて、他人に振り回される。

人とのコミュニケーションがうまく取れなくなったのは、この小さい頃の経験のせいか。

母に対して「怒り」がある。
こんなに寂しい思いをさせて、めちゃくちゃな子育てで、よく4人も産もうと思ったな。
ただ子ども・赤ちゃんが好きだからと言う理由で、子どもの身にもなってみてよ。
母なりに一生懸命やったというのは認めるけれど、方向性が全然おかしい。
私の心が置き去りにされている。
母は、家庭・子どものために実践倫理を始めた。
朝早く起きて、昼間も活動して、子どものためにやっていたと本人は言っているけど、
そのお陰で母は忙しくなって、私は母との時間もなく寂しかった。
大切なのは、心なんじゃないのか?
子どもの為の活動に力を入れるのではなくて、
子どもの心と触れ合うこと、心を受け止めてあげることの方がはるかに大切なのではないか?

そういうことも自分のこれからと重ねて、
I.R.M.のインストラクターになるために「何が何でも絶対」目標達成だとやると、
子育てに支障がでるのでは?子どもに寂しい思いをさせるのでは?などと思ってしまう。

でも、他のいろいろな体験から自分が共感できてないことに気づき、
そうできる自分になろうと決心できたのは、この経験があったからだ。
特に自分が子どもを産んでから、子どもの気持ちを受け止めてあげようと意識している。
この点で、初めてこの経験を肯定できた。

私が出産してから今までの思考は、何が何でも子育てが一番だった。
赤ちゃんが何においても最優先。
甘えさせてあげる。たくさんだっこした方がいい。
自分のことがほとんどできなくなってしまった。
でもかわいいからいいやと思っていた。

母に対して‘子どもが生きがい’になっていて、
それもいいけど自分達の好きなこともやればいいのにと思っていた。
父も子どもの教育には惜しみなくお金を使うけど、
父・母は自分達の楽しみには全くお金を使っていなかった。

でも、鏡だった。先生に母の二の舞になる・・・と指摘されたその通り、
価値観「子育てを自分の何よりも優先すべき」をもっていた。

更に、小さい頃からの経験で、母を見ていて、
価値観「自分の活動を優先すると、子育てに支障が出る」をもっていた。

産前から、目標達成に力をいれたら赤ちゃんのことがおろそかになるのでは?
という思考をしていたから、その通りになっていたことに気付いた。
そして、そう思っていたから、何が何でも絶対やらなくては・・・というのが嫌になっていた。

子育てだってもちろん純粋動機だけど、I.R.M.を極めていくことだって純粋動機。

先生の言うとおり、できない理由を子どものせいにはしない。

そして、ある日急に視点が変わった。

・・・後編へつづく

 
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